私は父母とはすでに死別しています。
叔父と叔母とも死別しています。
両親を失ったときの悲しみの大きさにくらべたら、叔父や叔母を失った悲しみはそれほどでもない。
当然ですが、このようなことはありませんでした。
死別と一言で言っても、それぞれの人との別れで感じた悲しみはすべて感じ方が異なりました。
「もっと話しておけばよかった」。
「もっとお世話をすればよかった」。
「もっと別の治療を受けさせていれば」。
「あんなことを言わなければよかった」。
「無理をさせなければよかった」。
後悔のしかただけでも、相手によって、状況によってこれだけちがうのです。
人間には、人格があります。
そして、それと同じように、悲しみにも人格があります。
同じ悲しみは2つとはありません。
ですから、たとえ私が誰かに悲しみを訴えて助けてもらおうとしても、その人は慰めの言葉を言うことしかできないのです。
これらの慰めの言葉を、どう思いますか?
大丈夫?──大丈夫ではないから、悲しんでいます。
時が解決するよ──いいえ。もう、何年もたっているのにつらいのです。
よくわかる──本当に? それなら、この悲しさから逃れる方法も知っているの?
これが、私の本音でした。
悲しみは、他の人がどのように考えてくれても、心を傾けても、自分を助けてくれることはできません。
グリーフリカバリーでは、みなさんの悲しみと真剣にむきあい、皆さんが悲しみを手放すことのお手伝いをしていきます。
ただし、あくまでも乗り越えるのはあなた自身で、私たちはあなたが前進することのお手伝いをするだけです。
著者:Y.S.