こんにちは。
前回、私が母を亡くした際に感じた後悔や、喪失に伴う痛み、悲しみの感情があったことをお話しさせていただきました。
悲しみは自然な感情です。
何かを失ったり、慣れ親しんだ行動パターンの変化や終了によって引き起こされる、人間の感情の中で最も強力なものです。
何かうれしかったことや楽しかった感情を味わう時間は短時間です。しかし、きっかけがあって、ふと思い出すことはあります。一生、ずっと持ち続ける、ということはありません。
ところが、悲しみの場合は、ずっとこびりついて離れなくて、一生、持ち続けてしまうかもしれないほど強力なものです。
悲しみのなかでも、喪失によるものは、胸に穴があき、そこからエネルギーを吸い出されるようなじわじわとした痛みがあります。
みなさんにも、親しい方との死別、離婚、恋人との離別、ペットの死、あるいは信頼など、多くの喪失体験があると思います。
転居によって故郷から離れることも喪失に変わりありません。喪失には、なんと40以上のものがあると言われています。
ですから、誰にでも少なくともひとつ以上の、もしかしたら複数の喪失体験があるはずなのです。
私たちの人生は本当に多くの喪失に囲まれています。
また、この喪失の痛みの深さ、度合いは、人それぞれ特有のものです。他人と自分の悲しみの度合い、喪失による悲しみの深さを比べることはできません。
それどころか、自分の中にも悲しみが複数あるわけですから、そのどれがもっとも痛みをともなうか、つらいのかなど比べようもないのです。
ところが、そのひとつあるいは複数を「これは一般的にみれば、たいしてつらいことでも、悲しむようなことでもない」と判断し、周囲に感情を隠したり、自分自身に対してごまかしたりすると、厄介なことにその悲しみはどんどん深くなっていきます。
「 ヒプノセラピー」のブログでも、お話ししていますが、顕在意識で忘れたはずの感情が潜在意識のなかで生き続けてしまうことがあります。感情にふたをすることは、実はとても怖いことなのです。
著者:Y.S.